studio malaparte
記憶の生成
M:記憶は固定した記念碑だけではなくて、実はそこから立ち上がる人間がつくる営み、としての記憶がある、と。その記憶というのは、常に変わり得るもので、たとえ経験はひとつでも、記憶のされ方によって百通りや、一万通りの記憶があり得る。記憶の生成論と名付けましたけれども。そうやって見ていくと、例えばジャコメッティの作品なんていうのは、幼少期の記憶や、夢の記憶がいく通りにも生成されて、その度ごとに違う形をとって現れる。
何人もの作家を扱いましたけども、いずれにしても言いたかったのは、記憶というのは現在において、たち現れるもので、過去の痕跡だけではないということです。岡部さんのフロッタージュというのはそういう意味で、記憶の生成論なんじゃないかと。
確かに、石は動きませんし、石の表面も同じだと思んですけれども、ただそこから取り出される形というのはやる度に違いますよね。
O:そうですね。だからその、それこそやる度にですよね。
だからそこに立った時間の現在が、その、過去の固定した時間を引っ張り出していくという、そういう点では、その、取り出す時間の深さ長さがたえず変わってくるということもいえるような気がするんですよね。
AFTER UJINA
O:土の仕事のはじまりは、ひとつは宇品のプラットフォームの消滅っていうことがあって、ずうっとそこに立ちながら仕事をしていた自分の問いというもの、プラットフォームを擦り取りながら、ある一つの問いをずうっとし続けていた、それが無くなった自分の中の喪失感ですかね、その喪失したときのショックっていうのは非常にやっぱり大きかったですけれど、それに代わるようなものを、ずうっとあそこのプラットフォームが無くなった場所に、立ちながら考え続けていった…で、そのときにそのプラットフォームの百年と同じくらいの時間を、もち続けることに耐えられるもの、それがなんだろうかな? と思ってたんですね。一つは植物だったし、その植物を育むそこの場所の土。それから、広島という都市が一つのメッセージを発し続けるとすれば、それ以後もやっぱり中国新聞というのはたえず問いを抱えながら発信し続けていく。そんなことを形にしてったのが、アフターウジナということでね。で、土の存在というのもとても大きかったですよ。
土の記憶
M:土というのは、やっぱり生きているものなんですよね。これは比喩でもなんでもなくて、土は生きていて、そのなかにはもちろん植物も、その一部なんですけれども、これから芽を出す可能性があるんですよね。(ありますね)(…)それくらい土のもっている生命力って言っていいと思うのですけれど、が、日本に居ると忘れてしまいますけれども、放っておくとそこから、芽が出てくるものってことなんだと思います。(…)それくらい土というのは未来に向けて、ある潜在力をもっていると、潜勢力と言った方がいいかもしれないですよね。土というのは潜勢力そのもので、それがああいう形で紙の上に地形を描くというところが、今回の作品の新しいところじゃないですかね。 アフターウジナのときにはまだその、手の痕跡の方が強く残っていたと思うのですけれども、今回は紙を揺らして割と岡部さん、自由に、なんていうのですかね、土の勢いに任せるというのか。
O:画面の外に居ることができるっていうかね、フロッタージュも手の痕跡を土で残すっていうことも、みんな画面の中に入り込んでいる自分だったんですけれども、最近はその画面の外に居て自分の痕跡を残すことができる。
場所の名前
M:その土が何処の土かということは、もちろん科学的に調べればいろんな痕跡がでるとは思います。それこそ瓦礫であるとかね。ただそれがどれくらい意味をもってくるかということは、これはまた作品の中のことだと思んですよね。いずれにしてもそれは大地から取り出されたものであるし、どうしてもそこでなければいけないと云うときに、じゃあ、なぜそこでなければいけないのかということを問われると思うのですね。どうして宇品の土なのか、ということを問われると思んですね。その問いに対する答えが、場所の名なんじゃないですかね。知ってる人が見たらわかる、というね。その知ってる人がどうやって知ったのか、という、そういうことを全て、知識がどう構築されるかということ、全て含まれたうえでの場所の名なんじゃないかと。消えた土地の名なんて言うのは、だいたいそういう風にして、消えていくと。風景が変わってしまったら、もうそこがどこであるか…北海道の土地の名はだいたいアイヌ語だっていうことを教えてもらいましたけども、同じ問題があるんじゃないでしょうかね。本当にその場所であったかどうかということは、その場所を知ってる人がいなくなってしまったら、確かめようがないわけですよね。そういった場所の名前といいますかね、ということを問う意味で、土ほどいい材料はないんじゃないですか。
ヒロシマ
O:ヒロシマに関わったはじまりが1986年からなんですよ。かれこれ20年以上やってますけれども。それはひとつの触り方ではなくて、たくさんの触り方をいろいろこうくり返してきたことだったと思いますね。で、そのことによってそのときの作品が発語するという、伝えることも、また変わっていく、でそれを見た人もまた、こちらの方に投げかけてくる、まさにその応答することをずうっと、やっぱりし続ける、その時間の長さというのは、ものをつくり出すときのエネルギーにもなったし、作品を裏打ちする力にもなったんだと思んですね。
過去を変える
M:過去を変えることができなければ、未来にとどけることもできないだろう、ということだと思んですね。ちょうど86年にヒロシマをはじめられた年は、チェルノブイリの事故が起きた年でした。その25年後にいまのフクシマ第一原発が…この25年間ずうっとその核と放射能の問題を、人類の歴史のなかに比類ないかたちで刻んだナガサキとヒロシマ、それをテーマにして、作品を続けてきたからこそ、過去を違った目で考えることができると思います。チェルノブイリ関してもそうだし、いま起きていること、まだまだ解決できませんし、25年後どういう風になっているのか、誰にもわからないんですけれども、そのときでさえ、過去は絶対のものではなくてね、それを違った目で違った風に考えて、それを違う未来へ受け渡すことができると思うんですね。続けていれば。一回限りのことは誰でもできると思うんですけれども、やはり続けるということ、続けるなかで少しづつ変容していく、それが過去であるし、いちばん最初の記憶にもつながりますけれども、そういう変容するものとしての記憶ですね。それが25年間の意味なんじゃないですかね。
ベイルート
O:土を見ると、土の色はなかなか魅力的な色をしてましたけれども、プラスチックやガラスや、そういったものが混じっていて、よく聞くとそれは、ベイルートの20年に及ぶ内戦で破壊された中心街の瓦礫でできていると。街のひとつの都市の中心のすべてブルドーザーで結局破壊してしまって、その破壊した何千トンにも及ぶ瓦礫でできているのが、その広大な埋め立て地だったんです。そのことがわかったときに、この土で、ということで、で制作やりましたね。
これは、一方で考古学のような行為でもあると思んですね。
縄文の土ほど深くはないですし、縄文時代が5千年とすると、せいぜい、内戦時代ですから、25年程度のものですけど、それでも過去から取り出すという意味では、それは考古学的な行為。ただその土を使ってできた作品というのは、まさに、内戦の記憶を、内戦という過去を変えているわけです。内戦のイメージというのは、われわれにとってはテレビ、メディアで撮られた玉が飛び交って人が殺し合う、そのさらに、人との争いのイメージですけれども、その一方で、一つの街が完全に破壊されている。見えない形で海の底に沈められているという、そういう過去があるわけですよね。その過去を取り出して、紙の上にもう一度流すことによって、変える。変えられたイメージというのは、また違う記憶を、残す。実際に会場にこられたレバノンの人、ベイルートの内戦を知っている人が、非常に強い印象を受けたと、直接聞きましたけれども、これも過去を取り出して、過去を変えるという営みの一つだったと思います。
「忘れない」
M:必ずしも「しない」というのは、受動的な受け身のことではないと思んですよね。「しない」という選択もある。世界には原子炉をもたない国はいくつもあるわけですね、それはそのときに選択しなかったわけですね、積極的に選択しなかった。なぜなら、この土地では、それは無理だからということを認識して、この土地には向いていない。いまはじめて日本人が疑問に思うのは、どうしてこんなに地震が多いところで、しかも地震が起きたら津波がくるところで、これほど多くの原発をつくってしまったんだろうかと、大きな疑問を日本人全体がもっていますけども、そのときにじゃあなぜ、選択しないというね、積極的に選択しないということができなかったのか。そういう風に考えてみるべきだと思んですよね。もしその時点でわからなかったんならば、待つこともできたと思んですね。もうすこし待とうと。時間をかけて考えよう、と。これは受け身ではなくて、積極的に待つ。それと深く結びついているのが、「忘れない」ということだと思んですよ。三陸には、たくさん、過去の大きな津波を忘れないでおこうとする碑がある、ということも知られていますし、われわれ以上に、そこに住んでいる、長く住んでいた人たちが知っていたんですけども、でも、忘れる人というのやっぱりいて、で、往々にして忘れる人というのは、その土地を外から見ていて、そこに、ここから下には例えば家を、道路をつくってはいけないんだよ、ということを忘れて、無視して、積極的に忘れてそれも、街をつくってしまった、と。
この「忘れない」ということと「選択しない」ということは、やっぱりダイレクトに結びついて、それをはっきり見せたのが今回の災害ですよね。
マレー区のN'OUBLIEZ PAS
M:まえ岡部さんが擦り取った、アウシュヴィッツを忘れないということにつながる、「忘れない」というのは、そういう意味ももっているんじゃないですか?
積極的に関わっていかないと、やっぱり、どういう無視のされ方をするか、無視をしてまで、もう一度災害をくり返そうと、そういう負の側面も、やっぱり人間もっているわけですよね。
*「徴(しるし)は至る所に LES SIGNES PARMI NOUS」より抜粋。
『徴(しるし)は至る所にLES SIGNES PARMI NOUS』(ハイビジョン作品・カラー・60分)
出演
岡部昌生
港千尋
石丸勝三
桑原眞知子
松田マサヨ
Vi´ctor Erice(友情出演)
スタッフ
撮影・録音:宮岡秀行
編集:佐藤英和
整音:黒川博光
録音助手:小川芳正(広島)、波多野ゆかり(札幌)、田中甚兵衛(京都)、東峯夏樹(根室)
音楽:鈴木昭男 LUIGI NONO GIACINTO SCELSI ROBERT SCHUMANN
宮岡秀行・佐藤英和 共同制作
2011 studio malaparte