studio malaparte
「鷺ポイエーシス」で行ったこれまでの活動は、私のなかでは何処かフランシス・コッポラ的な欲望に突き動かされてきた作業でした。
それは中庭と海の狭間にある夢のスタジオのなかで、映画の多様性を紡ぐための作業だったと言えます。
ロブ・ニルソン、アレクサンドル・ソクーロフ、ジャン=ピエール・ゴラン、李纓といったような、大きな系統に属することのない監督たちが、
まさに異人(マレビト)のように島に降りたち、その土地に何かを残してゆく。
それは、土地に根ざすのではなく、多種多様な異人たちの交通とその痕跡のなかに営まれる文化活動だったと思います。
また、私にとって鷺島とは、一日二十四時間逃れることのできないマーケティング攻勢に対抗できる場であり、
日本という島国の“悪い部分(マラパルテ)”から逃れる、もう一つの<しま>でもあります。
そして同時に、スタジオ・マラパルテという集団の中の私を、フィクションとしての芸術形式を通して実現する場でもありました。
しかし今日、<しま>は日本のみを語るのではなく、既に世界全体が中心を持たない、島々の散在にしかすぎないのではないでしょうか。 こうした意味で、列島化しつつある世界と、映画は必ずしも無縁ではありません。 デジタル・カメラの普及により、光学的な映像表現の退行や、映画における抑制された時間の喪失など、状況はますます悪くなっているとも言えます。 こうした時代に、芸術家はなにをすべきなのか。
2000年の春、私はスペインのビクトル・エリセ監督とともに、一枚のDVDを約一週間で制作しました。
マドリッドで再会する少し前に、メールによるインタビューも行ったのですが、そのなかでエリセは、シネアストの「映画を撮らない時間への注視」を促しています。
私がこれから手懸けるTVシリーズ『Edge~未来を、さがす。』は、そのエリセと交わした時間の核心部分に触れて行くものになるでしょう。
日本のシネアストが映画を撮影する僅かな時間と、膨大に抱え込む「映画を撮らない時間」との狭間に視線を向けてゆくこと。
撮ることではなく、撮らないことでもなく―、つまり、常にシネアストであり続けることは、一人の人間の精神力が試される時間ではないか?
そこに眼差しを向けるのですから、半ば倒錯的な行為だと言えるでしょう。
しかし同時代の作家たち、例えば私が十代から二十代にかけて「学生映画」の蜜月時代をともに過ごした青山真治は、
妥協を受け入れてでも映画を撮ることにこだわり続け、巨大であるが、矛盾をはらんだ大形式の作家になりつつあります。
或いは、「鷺ポイエーシス」で、時にゲストという枠を越えて共闘した諏訪敦彦は、個の生活史にふみとどまり、
撮るべきときに映画を撮る創造的な映画監督という役割を、明確にしつつあります。
では、これから映画を創りたいという若者は、どうすべきか。
自信過剰と自信喪失の両極をたやすく行き来してしまう時代を、絶え間ないプレッシャーに対抗してゆくためには、どうすべきか―。
そのための武器を、同時代の映画人とともに見つけてゆきたいと思っています。
われわれは、またしても時間の足りない“やっつけ仕事(ブリコラージュ)”を、あり合わせの材料でやり遂げることになりますが、 スタジオ・マラパルテの器用人としての力量をふんだんに注いだ番組に仕上げるつもりです。ご期待ください。
スタジオ・マラパルテ 主宰
宮岡秀行