studio malaparte
インタビュアー 中谷裕仁[表象文化論]
Q1:昨年、「Edge~未来を、さがす。」シネマトグラフ篇全6篇が終了しましたが、 全体を通底するテーマのようなものは決めてらっしゃったのでしょうか。
宮岡秀行(以下M):番組を制作する前に、「映画を撮らない時間」を注視するということをかかげました。
いわゆる本編の撮影現場にキャメラが入ることに、私自身抵抗があったのです。
商業映画の現場というものは、あくまで期間内で映画を撮りあげるという条件付きのものなので、多くの場合、メイキングというものは、副次的なものにしかなりません。
つまり「映画を撮る時間」をそのままドキュメントした場合、そこにもう一台のキャメラと映画作家の視点が入ってしまうのですが、
ドキュメントする側がベストのキャメラポジションをとることは不可能ですし、ましてや撮影の合間にスタッフ、キャストに本質的な質問が可能だとも思えないのです。
これは映画制作のプロセスを一から十まで経験した人ならば判ると思います。
映画は撮影の瞬間が全てではありますが、現場はそれだけではありませんし、そこに「創造の秘密」は欠片しかないでしょう。
極めて具体的な労働、それが撮影現場です。制作がスタートするかどうか、まだ何の目処もたっていない段階から、じっくりと時間をかけて準備して行くもの、
それが映画製作(プロダクション)であって、数日間で撮りきってしまうTV番組との大きな違いなのです。
Q2:ただ、この「Edge~未来を、さがす。」自体、隔月のTV番組という枠内で制作されていましたね。
M:私も映画作家ですから、数日間で制作現場の「表面」を記録するような番組は作りたくないと思ったのです。
しかし「Edge」は、あくまでCSのTV枠での制作なので、制作費やそれに伴う撮影期間などは、厳しい条件でした。
多くの場合、3日から4日間が撮影に当てられ、編集に3週間、最終仕上げ(スタジオ作業)に半日という感じでした。
ですから、次の番組の準備期間もあまりとることは出来ません。
この番組に関わった映画作家たちは、私にとって友人と言っても良い人たちばかりです。
そういう気心の知れた友人たちとの共同制作が中心となったのは、そのような悪条件を克服するためでもあったのです。
結果的には彼らの協力が、与えられた条件を魅力的なものに変えてくれたと思います。
また、番組枠では納得しない部分もあり、放映後に追加撮影や追加編集などを行った番組もあります。
広島や京都や福岡で行ったイヴェント[註1]で上映されたものは、「劇場版」になります。
Q3:ポエトリー篇などを観ていますと、まさにプログラム産業の産物という感じで、全てが一様ですね。 プログラム産業への抵抗もあると思うのですが、TV版と劇場版の具体的な違いは何でしょうか?
M:抵抗というよりは、私が不器用なだけです(笑)。見ることよりも、作家が語る姿を優先する番組としては、ポエトリー篇の方が数段上ですから。
TVという伝達を目的としたやり方としてはあちらが正しいのです。
特に改訂されたのは、最初の「ヴィデオはわれわれ詩人のチビた鉛筆だ」と「母モニカ」です。この2作品に関しては、私が制作に大きく関わっています。
場面によってはTV版とは違った編集がなされているのは、どちらも私が単独で編集しているからです。
それ以外の作品は、主にサウンドのバランスに違いがあります。
Q4:全6篇をあえてわけるとしたら、どのように分類されますか?
M:先程申し上げたように、「ヴィデオ~」と「母モニカ」、
それから「鷺ポイエーシスIV」で諏訪敦彦さんとヴィデオシナリオという形で制作したものを若干変化させた「きみはヒロシマで何も見なかった」は、
私が「現代詩手帖」に書いた、「虚構の作家と現実の作家の混同」[註2]というテーマで見ることが可能だと思います。
作品の生み出す作者と現実の作者との「距離」がポイントです。それから李纓さんや野上亨介さんとの作業は、基本的に西原多朱が共同制作した番組です。
クレジットではそうなっていないのですが、李さんの番組「飛之夢」は殆ど西原と李さんとの共同制作で、結果的に私は、キャメラマンのような位置にありました。
もちろん西原もキャメラをまわしているのですが、あの番組で重要なのは最終的な構成と編集でした。
また、「HOTEL CHRONICLES」は、白黒の部分に出演者として関わり、その部分の編集にも携わったのですが、30分間の構成全体は、野上さんと西原のものです。
この二つは、即興的に撮られているので、その素材をもとに、李さんと野上さんがそれぞれ構成をして、
その都度西原が合いの手を入れ、編集し、私がサウンドのミックスを行いました。
最後の安藤尋さんとの番組「今、海はあなたの左手にある」は、構成・演出を安藤さんが、
デュラスのテクスト構成と朗読をパリ在住の詩人・尾山裕子さんが行いました。
西原はキャメラマンとして、私は録音と尾山さんのナレーション(朗読)の収録を行いました。
制作プロセスとしては、そのような分類になりますが、他にも文学台本が先行して作られたものと即興的に作られたものに分けることも可能でしょう。
文学台本に関しては、あくまで他人が書いたテクストが前提でした。それは映画制作における、説話論的なものと主題論的なものの違いを強調するためです。
Q5:福岡での上映では、河村さんがテクストを書いた宮岡さんの作品と、宮岡さんが原案の三好さんとの共同制作のもの、 そしてマルグリット・デュラス原作の安藤さんのものが一挙に上映され、宮岡さんのねらいが明確に伝わってきました。 ところで、「directed by」ではなく「poiesis led by」というクレジットにされたのは何故でしょうか?
M:「directed by」にした番組は「ヴィデオ~」と「きみは~」の2篇です。この2篇は、やはり制作の「中心」というものがあるのですね。
また、安藤さんの番組もそれに近いものがあると思うのですが、全ての面でコントロールする時間がなかったということもあり、
安藤さん自体が「directed byはちょっと…」と言われたのです。
しかし、あの粘り強い映像は、彼のものですし、尾山さんや西原との連携プレーもさすがでした。
それから「poiesis led by」というのは、あまり慣れない表現ですが、巨大なプロダクションよりも、
ある意味で作り手の「個性」が出てしまうという点では、直接的な「創造性(ポイエーシス)」が問われると思うからです。
ただし、映画なり番組なりが一人で作れるというのは、あくまで幻想的なものだとも思うので、このクレジットは共同制作の色が濃い場合に使用しました。
Q6:映画作家が映画作家の現場を記録するという、ありがちな番組ではなく、共同で映像を作るというアプローチが大変面白かったのですが、 宮岡さんは現場の記録やインタビュー番組には、あまり興味がないのでしょうか。
M:以前、DVDの仕事でビクトル・エリセ監督にインタビューしたことがあるのですが[註3]、じっくりと時間をかけて作る場合ではない場合、 作家の言葉というものは映像よりも文字で読んだ方が良いと思うのですね。それは必ずしも映像でしか表現できないものではないと思うのです。 そういった番組、或いはメイキングものというのは、一度見れば十分なのです。 スポンサーはそういうものを望んだのかも知れませんが、私には撮れないのです。 映画作家もある意味で言葉を持ったエリートですから、状況に応じていかようにも答えてくるでしょう。 私の場合は、そのようなエリートをエリートとして記録することには触手が動かないのです。そういったものではなく、「普通の人」として映って欲しいのです。 例えば青山真治さんに映画制作をめぐる複雑な質問をすることは考えられません。 昔のわれわれのように「映画の雑談」をする方が、彼自身も輝くと思うのです。 彼や安藤さんとは十代の時に知り合ったのですが、その頃はまさに、「映画を撮らない時間」ですから、他人の映画についてばかり話していました。 青山さんの映画も、何本か良いものはあるのですが、彼が他人の映画についてしゃべる方が遙かに好きですね。 その番組の中で私たちがホウ・シャオシェンやフィリップ・ガレルについて語り合ったあの僅かな時間は、 例えば三好暁さんが番組の中で友人の中根さんと松本俊夫の『ドグラ・マグラ』(1988)について語りあうのと同じなわけです。 つまり、友と居る時間なのです。どの番組も、映画作家というよりは、「人」としての姿が映っていればと思っています。
Q7:最初の番組では、映画作家ではなく、「架空の映画作者」を河村悟さんが演じるという、どちらかと言うとフィクションの作りになっていますね。
M:何かに託して語るというところに、虚構が立ち上がるのだと思います。 特に最初の番組は、フィクションの形式を通して鷺島での試みを振り返るということだったので、 映画作家が映画作家を演じるよりも、それ以外の人に映像制作のプロセスをやって欲しかったのです。 あの番組の中でスクリーンに映し出されるマイクロスコピウムの映像は、河村さん自身が制作したものです。 その幻灯機での上映会を彼は90年代前半に東京で行っており、私も時々その場に行きました。 あの映像を中庭で投射してみたいと思ったことに深い意味はないのですが、幻灯機とマイクロスコピウムに対する愛着と同様に、 鷺コテージで過ごす時間は、既に生きいきしたものではないという認識があったのです。 この番組の白い画調も、過ぎ去った時間をどこか思い出させるものです。 こう言って良ければ、既に他者のいない場所に、「倒錯的な」実験を行う二人が残されていると。
Q8:それは青山さんとのステーションホテルの個室や、三好さんがもう一人の友人高岡さんと河原で話している場面にも言えますね。
この世界からの逸脱というか、まるでロビンソンとフライデーのような、極めて天使的な孤立した視線を感じます。
シネマトグラフ篇の連続時評を書かれている栃尾充さんが、その幻灯機の上映の場面について、スクリーンとそれを見ている二人(河村悟さんと宮岡さん)を交互に、
切り返しで映し出していないというふうに言及されていますが、どう思われますか?
M:これはスタイルの問題というよりは、スクリーンという面に対する考え方の違いだと思うのです。
いわゆる見た目の切り返しということは、そもそも考えつきませんでした。
映画のスクリーンに対峙する二人をスクリーンごと映したいと思ったのは、先程も言った「虚構の作家と現実の作家の混同」に端を発している気がするのです。
例えば、グル・ダットの『紙の花』(1959)や鈴木清順の『殺しの烙印』(1967)の中でスクリーンを主人公が見つめる場面が出てくるのですが、
これなどもまさにスクリーンごと人物が映し出されていたと思います。
それを撮影中に思い出したわけではないのですが、それらの映画の登場人物たちは、そのようにスクリーンと面することによって「虚構と現実の混同」を冒して行きます。
映画というものが不思議なのは、スクリーンがわれわれよりも大きくて見上げるもので、それでいて希薄であるということです。
そこに映像を投射し、二人乃至それ以上の人数で見つめることは、既に「他者の崩壊」だと思うのですね。
日頃、劇場でそれを体験すると、劇場というコードの中で殆どそれを忘れてしまうわけですが、鷺島の中庭のような場所にスクリーンを張ると、
その不思議な「スピノザ的な煌めき」が判るのです。
一方、TVの画面というものは、小さくて圧縮されたものであって、時に視線を逸らすのにはもってこいなのです。
TVという私有物の前では、家族の諍いが絶えないでしょう?(笑)
Q9:まさに(笑)。河村さんがスクリーンと同じフレームにおさまる時の三次元的な画面のボリューム、特にその上映の場面の美しさに、感動しました。
ところで、鷺コテージを設計された建築家の鈴木了二さんがあるところで、海は一枚のスクリーンだと指摘されていますね。
安藤尋さんの番組では、その海が「主役」だったと思うのですが。
M:あの番組は新潟の内野という場所でロケされています。 鷺コテージが面している瀬戸内海にくらべ、あの番組で映し出される日本海の方が、「海」という感じがしますね。 私の中では、ある意味でこの2作品はリバーシブル(裏表)なのです。 デュラスを朗読している尾山さんは、河村さんの愛弟子だということもありますが、安藤さんが『blue』(2001)をロケした場所には、 既に撮影現場の生きいきとした時間はなく、ただひたすら日常の時間が流れていたのですね。海が記憶の場所なのか、忘却の場所なのかはわかりませんが、 その無限の持続は、ある種の「記憶の亀裂」を喚起させるものでもあるような気がするのです。 一回目の番組で河村さんが、(おそらく)マルセル・プルーストの言葉を引用して、「海には無いものが一つだけある。 それは無の一滴」と言ったのですが、スクリーンだけ、海だけを主体的に捉えることは出来ないのです。 そこには無いものをめぐって、われわれは映像を作り上げて行くのです。
Q10:そこには無いもの、とは何なのでしょうか?
M:私の場合は、その2作品の間に、「母モニカ」という大変重要な作品があります。
この作品では、まさに三好さんが虚構と現実の間で大きく揺れるわけです。
シネマトグラフ篇が虚構から始まったとすれば、3作目に当たる「母モニカ」で、現実と虚構の揺れという問題が出ました
。実際、唯一この作品は、番組制作枠とは別に作り始めていたのです。当初、彼女の大学院での卒業制作だったのですが、途中で座礁しました。
そしてこの番組のお陰で、約1年間の中断を経て撮影が再開したのですが、その中断は、私に「記憶の亀裂」をもたらすものでした。
プルーストがどのような意図で「無」と言ったのかはわかりませんが、それは何か中断を挟むようなカタストロフィーのことかもしれません。
実際の海は違うと思うのですが、イマージュとしての海は、極めて幸福な記号のような感じがしてしまうのです。
質問に戻ると、そこには無いものとは、自分にとっては「母モニカ」、安藤さんにとっては、もちろん『blue』になるでしょうね。
Q11:「母モニカ」の冒頭で高岡さんは、「嘘っこはあかんな」と言います。或いはお母さんが、「そんな映画観たくない」とも言いますね。 ある意味で虚構を否定するこのような発言の裏には何があるのでしょうか。
M:「日常は桁外れの物語だ」と言ったのは、ニコラス・レイのその言葉を引用した諏訪さんです。 三好さんの周囲の発言には、そのような物語が隠されていると思うのですね。私と三好さんが作った虚構に対して、ある物語化が進んでいるのです。 それを受けとめる瞬間の三好さんは不自由ですが、その時感じた彼女の「異和」は、明らかに芸術家のものです。 自分を取り囲む環境、自分を他ならず自分たらしめている物語への距離を生きることへの自己嫌悪が、はっきりと見てとれますから。 これまでの彼女の作品は、不満はあっても異和感はないのですね。
Q12:その精神的な戦いが、あの作品のダイナミズムですね。宮岡さんが三好さんを巻き込んでゆく、そして巻き込まれてゆくさまが、凄いと思います。 改めて撮影を再開させることの抵抗は、宮岡さんにはありましたか。
M:抵抗のない撮影はありませんから。やはり、現実にだけは負けるわけには行かないと思い、撮影に臨みました。
しかし、繰り返しますが、あの作品こそ、撮影自体よりはそれまでのプロセスが大事でした。
そこはキャメラには写っていないにもかかわらず、あらゆるショットの細部に、ノイズとしてゆらゆらとあぶり出されています。
また、三好さん自体は、僕の書いたプロットと自分の感受性にできるだけ嘘がないようにもっていこうという集中力がありますから、
第二のクランク・インには「亀裂」はないと信じていました。逆に、第二の契機を持つことで、この制作への理解はより深まるとも思いました。
知的な邪心があると、アイデアを外からもってきてすぐに「亀裂」を埋めますが、彼女はそうではないのです。
私がある種の女性との作業を好むのは、陳腐なすでに見たことのあるような映像で、「記憶」を埋めないからなんです。
Q13:「記憶の亀裂」というものは、まさにデュラス的なテーマと思うのですが…。
M:諏訪さんの番組は、後に『H Story』(2001)というデュラスが脚本を書いたアラン・レネの映画『二十四時間の情事』(1959)の「リメイク」に至るのですが、
本編と同時に番組の中で私が最も印象的に感じた場面は、諏訪さんやベアトリス・ダルが海に対峙する場面です。
その二つの場面は、実は同じ場所でロケされています。
これの相似形として、ロブ・ニルソンと諏訪さんが撮った『Winter Oranges』(2000)のエンディングと、
諏訪さんの一つ前のヴィデオシナリオで、ロブさん自身が灯台に向かうカットの反復があります。
この番組で言えば、諏訪さんが海へ一人で歩いて行き、次の場面は車内で竹岡尚子さんと話す場面が出てきます。
そこでの会話や車の窓ガラスについた水滴のイマージュは上手く撮れていると思います。そして二人の間の応答は、極めて現実的で、しかも距離感を感じさせます。
実際、この番組の中で、諏訪さんは虚構と現実の間をある程度コントロールしながら動いてゆくのですが、
実は、竹岡さんの方が瞬時にその二つをまたぎ越えてしまう感じがあるのです。それをキャメラは記録しています。
そういった意味では、大人だとは言え、竹岡さんの変化は三好さんに似たところがあるのです。
おそらくそれが「普通の人」として振る舞う、巻き込まれてゆくということでしょうか。そして映像は、そのようなものからもたらされたときに、力強いのだと思います。
キアロスタミやロメールの映画のある種の瞬間がそうであるように、ドキュメンタルだと言っても良いでしょう。
ソクーロフの『マリア』(1975-88)や李纓の『2H』(1999)が力強いのも、それ故です。
またエリセの『マルメロの陽光』(1992)の画家アントニオ・ロペスは、大変著名ですが、あの映画の中では、極めて人間的に撮られていたと思います。
話しは逸れましたが、二つの映像の間に、諏訪さん独特の距離は形成されると思うのです。
あなたの言われる、「記憶の亀裂」というものがうまく理解できないのですが…、
もしかしたら、最初の番組で描いた「白いスクリーン」が、それに近いような気がしますが、わかりません。
また、デュラスには確かに、(裸の)プラージュのような瞬間があって、
確か丹生谷貴志さんが彼女のことを、「スピノザ主義者」[註4]と定義していましたね。
Q14:そうですか。その諏訪さんの番組のためにロケされたホテルの場面も、『H Story』のホテルの場面を彷彿させますね。
M:そのままですよ(笑)。鷺コテージの中庭に立つ河村さんもそうですが、同じ空間に在る人を撮る場合、時に演出を放棄したくなるというか、 何か不均衡なものがその場に感じられるのですね。 それを演出で整えたくないというか。自分の空間感覚かもしれませんが、これが「音」であれば時間は自然に流れるのに、 視覚を持つことの不自由さが、時空に不均衡を生むような気がします。やはり、「空間の感情」を優先してしまうのです。 あの場面も、諏訪さんのアイデアで、「目と音」がシンクロしないのです。
Q15:対象を安易に「構図」化せず、ボリュームとして把握する、宮岡さんの映像の秘密がそこにありそうですね。
さて、「HOTEL CHRONICLES」の中で、虚構の中に現実が入るのを潔しとしない、と青山さんはおっしゃっていますが、
宮岡さんや諏訪さんは逆に、現実が入ることにより虚構は強まるという、お考えなのでしょうか。
M:諏訪さんが実際のところどう思っているかはわかりませんが、その二つは相互的だと思うのです。
或いは、映画を詩と比べたときに、やはり偶然は写り込んでしまうと言うことが出来ると思うのです。
詩というか言葉は現実を受け付けないだけの「強さ」を持ち得ると思います。しかし映画の場合は、いくらセットで空間を限定したとしても、偶然は入り込んできます。
ましてや、われわれのような低予算の作りでは、「車止め」すら出来ない。ですから青山さんのそれは、彼一流の強弁だと思うのです。
ただし、映画制作における厳密さというものは、例えば天候、役者のコンディション、機材やそれを操るテクニックなど、技術面に関する左右が大きいのです。
このシネマトグラフ篇は、厳密には映画ではないのですが、技術的な範囲は殆ど西原が負っていました。
西原の仕事を中心に全体を振り返ってもらえば、彼女の技量に伴い作品自体の自由度も増しているのが判ると思います。
私の考えでは、いくら厳密な映画作家であっても、それは科学者ではないのです。ロメールが科学者ではなく映画作家であることに感謝します(笑)。
Q16:青山さんが、煙草を吸う仕種が二度ほど出てきますが、その時の、カッティング・イン・アクションが見事です。これは予め狙われていたのですか。
M:西原とは別に、田中國明くんがカメラをまわしました。田中くんが、そのアップを撮ったのです。もちろん最初から狙っています。
個々人の「癖」に「文法」があると言ったのは、司馬遼太郎だったかな。河村さんの歩行やマイクロスコピウムを操る手の感触。諏訪さんの対話の「間」。
三好さんのジュリエッタ・マシーナのような表情の変化。李さんの息の長いカット。
或いは安藤さんのまるで踊りのようなキャメラワークなどは、「美学」ではなく、その人の「癖=文法」だと思うのです。
そうした感覚は、既に私のなかに染み込んだものなのです。
物語をこしらえたり、「不当な」質問をするよりは、青山さんの手の仕種を数秒ほど撮った方がいいのです。
Q17:この番組には京都在住の映画作家、野上亨介さんが参加されていますね。
M:プロジェクトへの野上さんの参加は、西原のアイデアでした。 あの番組は当初から、西原が軸に動いていたもので、野上さんの参加が決定した時点で、すでに青山さんの場面の撮影は終えていました。 その(彼が話した)幾つかのエピソードの中から、ロジカルなものを取り出す可能性があるのかないのかということを、 更に映像を追加して、同時に編集するような手法で、野上さんには探ってもらったのです。 この時は、何時になく時間が無かったにも関わらず、彼の仕事ぶりは丁寧だったと思います。
Q18:シネマトグラフ篇の中では、登場人物たちの人生が大きく変化するということもあったようですが、映画自体が変化するということもあったと、 制作ノートを読んで判りましたが、その『フェイ・ヤ・フェイ』(2001)はどのように変化していったのでしょうか。
M:いや、人生が大きく変わるというのはないと思うのです。変わらないから、悲しいのであってね…。
李さんはよく、「気が流れる」という表現をします。
われわれが北京入りする直前に見た『フェイ・ヤ・フェイ』は、気の流れがまだ十分ではなかったような気がします。
異文化、異言語空間の中での取材だったので、われわれ自身、対応出来なかった部分もありました。
しかし、李さんはわれわれの反応を見つつ、自分の映画の新しい流れというものを、考えていたと思います。
どういう場面が冗長なのか、何が不十分なのかということを、われわれだけではなく、完成して一年後に出演者たちに「確認」する作業にもなったのです。
この『フェイ・ヤ・フェイ』は、まさに李さんが友人たちと作った自主制作の映画です。特に成都で出会った主役の一人、リャオさんは印象的でした。
彼への質問は、西原が行ったのですが、彼のたたずまい、或いは日々の生活の雰囲気などは、まさに「普通の人」です。
まるで「母モニカ」のなかの、三好さんのお母さんのようです。
しかし、「一に生活、二に愛」というようなことが平然と言える人の魂には、われわれ日本人には無いものを感じました。
シネマトグラフ篇の中に、このような言葉が入り込むことは、とても重要です。そのような人(言葉)の傍らに、映画作家がいるのが全6篇で変奏されていますよ。
それは必要最小限の「行為=欲求」と言えば良いか…。この番組自体も、極めてタイトな構築性を具えたものになったと思います。
Q19:「飛之夢」は撮影と編集が完璧ですね。ポエトリー篇の中の吉増さんを撮った奄美ロケのものなどと比べても、余分なものがない。
M:李さんのお陰です。このような構築性は、日本的なものではありません。
われわれも吉増篇のように楽しい場面を幾つも撮ったのですが、編集段階で絵はがき的な「余剰」はカットしました。
李さんとの仕事は、ドキュメンタリーとしての性格が強いので、上映時間としては、長く感じられるのではないかな。
しかし、この「長さ」は彼の映画の呼吸に近い筈です。
ともあれこの海外ロケは、『Celebrate CINEMA 101』(1996/2001)以来の、贅肉を削ぎ落とした「マエストロ」との作業になりました。
Q20:ところで、この番組に出演したリャオさんやマンクさんを始め、河村さんも含めて、詩人が何人か登場しますが、 シネマトグラフ篇と同時並行して作られていたポエトリー篇を意識されていたのでしょうか。
M:私自身、詩が好きで、それでこの「Edge~未来を、さがす。」のプランナーでありスーパー・バイザーである詩人の城戸朱理さんと、1995年に知り合ったのです。
このシネマトグラフ篇が計画される以前には、福岡市総合図書館で「A.D.2000/映画零年」という企画を(詩人の)松本圭二さんらと行いました。
シネマトグラフ篇に関わったメンバーとほぼ同じ作家たちを採り上げています。ともに詩人からの誘惑なのですよ(笑)。
映画もまた詩的なものが好きです。例えばムルナウやスタンバーグ、ニコラス・レイ、カール・ドライヤーといった人たちが詩的な映画を撮る人たちです。
それに対してハワード・ホークスやジョン・フォードなどは、物語的な映画を撮る人たちです。
詩的な映画というものは、見てすぐには好きになれないかもしれませんが、3日後、1週間後と何かが深く浸入してくるような映画のことです。
私にとってシネマトグラフ篇は、映画と詩の間にあるものです。ですから、そこに映画が挿入され、詩人が写ることは、そんなに不自然ではありません。
一方、ポエトリー篇は京都で何本か見たのですが、不思議なのは、あれだけ詩の朗読の場面をもうけながら、詩人が詩を読み得た後の表情を見せないことです。
やはり、「詩の現場」以外は興味がないのでしょうか…。
Q21:確かに、朗読がフォーマット化されてますね。ところで、映画と詩の間とは何なのでしょう。
M:それが、このシリーズにおける虚構だと思います。『Celebrate~』の、織田要によるつなぎの映像がそうであるように、
その「間」も、認識する側に「判断停止」を求めているのです。
個々人の百年は祝福できても、映画そのものの百年は、映画と詩の間同様、誰にも見ること(祝福すること)は出来ないと思いますが、どうでしょう?
もし仮に、この全6篇を『Celebrate~』のように一つに繋ぎ、感じてもらうことが出来れば、このフィクションを理解してもらえると思うのですが...。
とにかく、それは友との時間であり、過ぎ去った時間であり、だからこそ「秘密」なのです。
私は映画のことはわかりませんが、青山さんについてなら、安藤さんについてなら、或いは三好暁についてならわかるつもりです。
デュラスの言葉でこのシリーズは締めくくられますね、「もはや私はあなたを愛していないのに、もはや私は何も、今なおあなた以外の何も愛してはいない」と。
この言葉は、論理的には極めて矛盾に満ちた言い方です。しかし、もしここで言われる「あなた」が不在であれば、この言葉は十分説得力を持つのです。
そして遂に、友人(安藤さん)は居ない(映らない)わけです。
Q22:それはドゥルーズが言うような意味での「他者なき世界」[註5]のことでしょうか。
M:京都で行われたシンポジウムの席で、詩人の野村喜和夫さんが、「イマージュとは不在のことではないか」と言われていたのが印象的でした。 さらに、詩人の藤井貞和さんは、「忘れられるんだけども沈殿していっている言葉」という言い方をされていて、それは不在や忘却というよりも、 そこに在るのだけれど、秘められているものだと思うのです。今後もそのような「言葉」を、映画と詩の間に設けて行くことができたらと思っています。
<了>
(2003年1月25日 スタジオ・マラパルテ事務所にて)
[註1]「目と音の折り重なる場所」日程:2002年9月14日 場所:広島市中区 まちづくり市民交流プラザ 主催:広島市文化財団 企画制作:スタジオ・マラパルテ
Edge in Kyoto~映画と詩の間」日程2002年9月27日~29日 場所:京都市中京区 ART COMPLEX1928 主催:Art Square 企画制作:スタジオ・マラパルテ 後援:京都新聞社/思潮社
Edge~未来を、さがす。 映画と詩の間の対話」日程:2002年11月16日 場所:福岡市今宿 ニ・ニ・セ・フィニ 主催:ニ・ニ・セ・フィニ カンパニー
[註2]「映画が許し給うすべてのもの」(「現代詩手帖」2002年7月号より)
[註3]『Victor Erice in Madrid』(ビクトル・エリセ監督作品スペシャルDVD BOX セットより/東北新社)
[註4]「女 マルグリット・デュラスによる「中空の浜辺」」(『女と男と帝国』丹生谷貴志 青土社)
[註5]「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」(『原子と分身』ジル・ドゥルーズ 哲学書房)